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へこむ・・・けど、さあ前を向いて!(昨年を振り返る)

 まず始めに・・・、以下の記事を掲載することについて正直なところ、相当悩みました。記事としては大分前に下書きしたのですが、ずっと掲載せずに今に至りました。皆さんに読んで頂いて、またメール、コメントなどでお話を頂戴できれば幸いです。
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 両親から、この年になって、いまだにサッカーについてかなり厳しい説教をくらう。自分の中で、最もへこむ時間の一つである。チームの結果とか、サッカーそのものを批評されるのではない。サッカーの指導をしている事について、家庭や本業に支障を来たすことを懸念してのことなのだろう。「さっさと切れ、やめろ、やめろ」とか、「いつまでやっているんだ、いい加減にしろ」とか、「少年か少女の方かどっちかにして、片方をすっぱり引くようにしないのか」とか・・・。母親にまで涙を流されて、「今年こそきちんと整理してきたら」とか・・・。こうした言葉を聴くたびに、身体のどこかを引きちぎられるような、ものすごい屈辱感と言うか、痛みと言うか、そんなものを強く感じる。両親の様々な想いがあることは少なからず理解できる。ただ、今自分が係わっていることが様々に繋がっていることを考えると、本当はそんなに簡単に動ける事ではないのだが、そういう状況は本人には判らないから、続けざまに厳しい言葉が突いて出てくる。

 ・・・恐らく、自分の努力が足らないのだろう、自分はまだまだ親不孝者なのだなぁと思って、それでもとにかく平日を一つ一つ、コツコツと過ごしてきた。でも、本業だって、家庭サービスだって、コツコツと「頑張っている」と反論したところで、その反論に投げ掛けられる言葉から判断する限りでは、両親にとっては大いに不満に違いない。自分も客観的に見れば、まだまだだと思う。例えば、指導している時のような分析力やひらめきや行動力と比較すると、本業も家庭でも、そういった力がまだまだ十分には発揮されていないと思う。そんな自分が悔しい。本当に悔しい・・・。
 父とゆっくり飲みにでも行けたらいいのだが、父はいわゆる「わく」、自分は「下戸」。サッカーの話など、男の親子の会話には、普通であったら面白く、楽しめるネタになるはずなのだが、それがネタにならないで説教のネタになるかと思うとゾッとする。映画やドラマのような親子の会話なんて、現実にはそうは無いのかもしれないけれど、今の自分の状況からすると、なぜだか強く憧れてしまう。
 そういえば以前、新聞記事か何かで、都会の次に男性が晩婚なのが長野県なのだというのを見た。自分は結婚こそしているけれども、なんだか、自分の境遇・心境に少なからず関係があるような気がして仕方が無かった。身近な50代、60代、場合によってはそれ以上の健在な方々のパワー、エネルギッシュさに対して、気のせいかもしれないが、次世代にあたる20代、30代の男性が目立っていないというか、おとなしいというか、時には自信なさげにさえ思えてしまった。でも、これは何なんだろうか・・・。ただエネルギッシュなだけなのではなく、そこには若者や次世代に対する強烈な卑下と批判精神が感じられるような気がしてならない。
 これを発生させてしまうエネルギーの元は何なのだろうか。世代毎に引き継がれる歴史がそれを繰り返してしまうのだろうか・・・。「教育県」長野特有の道徳教育的なものが影響してしまっているのだろうか・・・。それとも四方を山々に囲まれたコミュニティ特有の「異質な個」を認めにくい環境がそうしてしまっているのだろうか・・・。松本弁・安曇弁などの方言の何気ない一言にも、一種独特の皮肉めいた雰囲気を感じてしまう。それにしても、もっと次世代を育て、大きく羽ばたかせるために協調したり、意見交換できる器量を年配者に求められないのはなぜなんだろうか・・・。
 そして、同じことが、サッカーの指導の現場で起きてはいないだろうか・・・。指導者と子どもたちとの関係を捉えた場合、職場で言うような、いわゆる立場を利用した「パワーハラスメント」に近い状況がまだまだ試合や指導の現場や、それらを取り巻く組織で見られるのではないかと思ってしまう。杞憂に過ぎないのであれば幸いなのだが・・・。
 こういう自分と同じ境遇・心境を持った、近い年代の人や、一世代上の経営者の下で仕事をしている次世代の方は身近に結構いるような気がする。例えば、50代にして未だに社長職を譲ってもらえない方、いきなり上の世代に現場復帰されてしまった方、年配者が現場に居座って頑張ってしまったり、嫌味を言われたり影で足を引っぱられたりしてしまうためにやる気や意欲をことある毎に削がれてしまう後輩の方々、仕事に関して褒めたり励まされたりという実感・経験をほとんど親から受けることなく家業を引き継いだ方・・・、などなど数々耳にするけれど、そんな人たちといろいろ話をしてみたいと思った。
 それから、「己の欲せざるところ、人に施す事無かれ」で、娘と接するときや、子どもたちに対するサッカーの指導においては、夢を追いかけること、楽しむことが出来るような環境作りをしていかなければ、と思った。そのために、指導者や親という立場として(あるいはその力関係や立場を利用して)、子どもたちに対して卑下したり、ただ一方的な感情や、否定的態度で話すのではなく、信頼関係のおけるような会話・対話の場作りに努め、相互の協力関係で問題・課題を克服していかなければ、とも思った。新年が始まる・・・。さあ、また前を向いていこう!っていうか、はい、先ずは自分の仕事、仕事!!きっと職場にも同じことが当てはまるはずだから・・・。

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Comments

まずは「あけおめ」「ことよろ」。&いつもながらの遅い年賀状thx(置かれた状況は解っているよ)。もう新年なのに、更新がないな・・・。とのっけから苦言を呈してみる(笑)。

しかし「長文」だね。脳細胞が弱りつつある自分は読みきるのが骨だった。ただ、内容は概ね同意できるし、君の中の熱い思いは自分には伝わった。
自分もB/Kを退職し、親父と机を並べるようになったが、ある意味「抑圧感」は感じる。世代が違えば価値観や判断基準も異なるのは当然と理解しているつもりだが、強硬的な態度に戸惑うこともある。
前職でも顧客企業で2代目の葛藤を数多く見てきた。が、具体的な解決方法は見出せていない。全ては「時間」が解決するしかないのではという気もする(かなり消極的だが)。
なんら解決方法は提示できない(というか、自分も悩んでいる)が、共感している人間が少なくとも1人いるよということでレスしてみた。

君におけるサッカーは、自らのアイデンテティなのかなと思ったりする。でも親父さんの考えもなんとなくわかる気がする。軸足を置く場所を変えて欲しいのではないか?
自分は10年前スキーにのめりこんだ。就職後、そして結婚して暫くもそうだった。でも両親含め周囲からの視線が厳しく6年前にすっぱり足を洗った。昨年板を2本涙ながらに処分した。やめた後時間がたったので、「冬になるとうずうず」はなくなった(寂)。
一歩退いてみると景色が変わることもある。客観的になれることもある。熱い思いだけで走りきれるものでもない。自分は今年これを念頭に過ごしていこうと思う(年初からJCで爆発してしまい反省しているのもあるが)。

最後に・・・。実は(最後に買った)板を1本残していたりする。長女に「連れてって」とせがまれ、心動いたりしているのは内緒だ・・・。
あと、メルアドは会社の自分用のものです。自宅は変えてません。

Posted by: 平塚の友人A | January 10, 2006 at 11:54 AM

具体的にどうこう言うほど単純なものではなく、状況は、一人ひとり全く違うものでしょう。自分の人生に責任をもてるのは自身だけである。後悔する人生は先人の知恵の恩恵で、さけることもできよう。唯、世代間の生きがい、価値観の違いは明らかであるし、昔だって自分の想いを押し通して華々しく人生を終えた人,迷惑をかけ続けたひと、挫折した人、
自分の想いを押し通せずうじうじとした人生を過ごした人、順応した人、
自分の想いを他の人の為に引っ込め、価値観を変えた人、身を持ち崩し、それを人のせいにしている人、2代目の悲劇・・・・・・等‥、先人の例も様々、人のおせっかいも様々。
いいかげんに子離れしなさ~い!
親の子も、子供も持つ年になれば人生観などというものも、人にとやかく言われる筋のものでは無いでしょう。私が親なら、サッカーという生きがいを持ち、自分の人生の芯が見つかってよかったね。といってあげたい。息子の幸せ感にサッカーがどれだけ寄与しているか、経済的に問題なければ、仕事はしなくてもいでしょう。生きがいはないといけないと思います。こういう子に育ててくれて、お父さん、お母さん、有難う。いま、いい家族にも恵まれ幸せです。今のとってもいいバランスを壊さないで。
あまり、親を気遣い、いい子ぶっているとお互いに傷つけてしまうかもしれませんね。
真っ向からぶつかるのではなく、説得できない、相容れない感情があってあたりまえ、自分を理解できない人がいるのも当たり前のこと、戦略を考え上手く立ち回る必要がありそうですね。。自分のハエは、自分で追いましょう。子供達に、どの面さげていきますか。
優等生を目指すのではなく、自分らしい自己実現こそ目指すことと思います。
肩の力をぬいて、俺の人生はこんなもの・・・・・今のところ結構うまくいってる。

Posted by: 草壁一宏 | January 11, 2006 at 12:55 AM

私も若い頃父と学校教育について対立したことがあります。怒って家を飛び出し、しばらくして思い直し家にもどりました。
その時父の言った言葉がまだ心に残っています。
「私たちは親子だ。正しいか正しくないかという自分の価値観だけで会話するほど関係は浅くないはずだ。それを蹴るなら絶縁になってしまうよ。」
その通りだと思います。その言葉から私はいろいろ考えさせられ学びました。
親子関係だけでなく、相手とコミニュケートする時は、互いの心情を推し量りながら行わなければ、建設的に前進していかないのだと思います。
考え方・やり方は違っていても、目指す方向がずれていても、互いに極悪人ではないのですから、良かれと思うことを考え話し行っているのだと思います。
歩み寄る・理解し合うことに高い壁があったとしても、互いに思いやり話し合っていけば、しばらくは平行線でも、いずれ交わることはできるのだと思います。

Posted by: OFF THE PITCH | January 11, 2006 at 10:36 AM

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